出家の動機

なぜブッダは出家されたのか。通説では、この世の生命あるものすべてが絶対にまぬがれない病み、老いて、死ぬことに対する苦悩や恐怖から、解き放たれるためだったと伝えられる。この伝承そのものは、間違いないであろう。

ところが、原始仏典の『中部経典(マッジマ・ニカーヤ)』によれば、ブッダ御自身が臨終の間際、最後の仏弟子となったスバッタに、「スバッタよ、わたしは二九歳で、善を求めて出家した」とも語っておられる。ブッダが臨終の間際という特別な時点で、出家の動機が病み、老いて、死ぬことから解き放たれることではなく、「善を求めて」と語られたことは、注目にあたいする。

そうなると、なぜ、「善を求めて」ブッダは出家されたのか、が問題になる。この問題を解く鍵は、ブッダが求められた「善」とは何か、である。

「善」が仏教にとって最大級の課題であり続けてきたことは、あきらかだ。なぜなら、原始仏典のなかでも最古層に属す『法句経(ダンマパダ)』などに、「七仏通誡偈」として、仏教とは『諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教』と説かれているからだ。

私は常々、宗教あるいは宗教者には、以下の二つの要件が欠かせないとみなしている。
@個人の精神的救済
A社会的な規範の提供
この二つの要件を兼ねそなえているのが理想だが、なかなかうまくいかない。仏教の場合は@に重点が置かれていて、Aは弱い。その理由は、セム型一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)がもともと集団のための宗教として誕生し、集団の規範という性格が強いのに対し、仏教をはじめ、インドで生まれた宗教は、なにより個人の精神的救済をめざす傾向が強いからである。この型の宗教には、社会性に乏しいという欠点がつきまとう。

現にブッダが生きておられた時代は「自由思想家の時代」と呼ばれ、従来のバラモン教的な制約から解放された宗教家や思想家が、個人の精神的救済のためなら、何をしても許されると説いていた。アージーヴィカ教は、因果応報など完全な嘘だから、何でも好きにすれば良いといって、倫理や道徳を真っ向から否定していた。ジャイナ教は、断食の果てに餓死することが、誰にも迷惑をかけない理想の身の処し方と主張し、実践していた。

ひょっとしたら、ブッダはこの欠点に気付いておられたのではないか。ブッダ御自身だけが病み、老いて、死ぬことに対する苦悩や恐怖から、解き放たれるだけでは、意味がない。万人が、苦悩や恐怖から解き放たれなければならない。また、なにもかも、個人の自由では済まされない。社会に対する責任がある。ブッダは、「善」という言葉に、そういう思いを込めておられたのではないか。

証拠はある。原始仏典の『相応部(サンユッタ・ニカーヤ)』に、「(修行についやした)七年間、慈悲の心を修得した」と書かれている。とすれば、ブッダが求められた「善」は、社会に対する責任とともに、「慈悲の心」と深くかかわっていたことになる。「慈悲」は他者の存在を前提とし、万人救済を志向するから、社会に対する責任と通じている。つまり、「社会に対する責任⇔善⇔慈悲の心」という構造が成り立つ。そして、この「社会に対する責任⇔善⇔慈悲の心」を一身に体現することこそ、仏教が求める「宗教的人格」の最大要件になると思われる。

日蓮聖人が出家した動機は、ご存知の通り『善無畏三蔵鈔』に「虚空蔵菩薩に願を立て云く。日本第一の智者となし給へと云云」と御自身でお書きになっている。考えてみれば、「日本第一の智者となし給へ」という文言は、いささか奇妙である。仏教僧として出家したのだから、常識的には、「我を悟りに導き給え」とか「我をお救いください」という願を立てるはずだ。たとえば、親鸞聖人は出家にあたり、師の慈鎮和尚(慈円)に「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という和歌を手渡し、「死に対する恐怖」が動機だったことを告げたという。

日蓮聖人の願は、無限大の記憶力を身につけられるという虚空蔵求聞持法を修得するために立てられているので、まず無限大の記憶力を身につけて仏法を学び、それから悟りや救いを求めるという順番だった可能性はある。しかし、日蓮聖人の御生涯をふりかえると、「智者」が秘める意味には、はるかに深いようである。

そもそも「智者」とは何か。『開目抄』に「なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり」とお書きになっているところから察すると、ただ単に頭が良いとか学業抜群という意味ではない。「仏法をきわめた人物」という意味であろう。

では、「仏法をきわめる」とは、そういうことだったのか。日蓮聖人が生きておられた時代は、わかりやすく表現すれば、仏法中心の時代であった。個人の精神的救済はもとより、俗世の諸事万端ことごとく仏法が根本であった。言い換えるなら、仏法かかわらない領域はどこにもなかったのである。

したがって「智者=仏法をきわめた人物」とは、個人の精神的救済に加えて、社会的な責任をまっとうする人物という結論に導かれるが、そのような人物は、現実には、希有というより、皆無に近かった。世は乱れに乱れ、その影響か反動か、人々はあげて死後における極楽往生を願い、現世における社会的な責任などどこ吹く風という時世だったからだ。

しかし、そんな時代にあらがうかのように、日蓮聖人は早くも出家の時点で「智者=仏法をきわめた人物」になろうと志された。すなわち、個人の精神的救済に加えて、社会的な責任をまっとうする人物を志された。私にいわせれば、さきほど宗教あるいは宗教者の理想像としてあげた@とAを兼ねそなえようとしておられたことになる。このことは、日蓮聖人を至高の先達と仰ぐ私たちにとって、すこぶる意義深い。